種痘記念日、温度計の日、
●承久の乱。鎌倉幕府倒幕の為、後鳥羽上皇が近隣諸国の武士1700騎を結集(1221)
●「ナントの勅令」でユグノー戦争を終結させた仏国王アンリ4世が旧教徒により刺殺(1610)
●フランスで、4歳のルイ14世(太陽王)が即位。76歳で死去するまで72年間在位(1643)
●イギリスの医師ジェンナーが8歳の少年に牛痘の膿(種痘)を植えつける(1796)
●蛮社の獄。渡辺崋山や高野長英らが逮捕される(1839)
●江戸幕府が神戸海軍操練所を開設。勝海舟を頭取に任命(1864)
●世界で初めてアメリカンフットボールの試合が行われる(1874)
●紀尾井坂の変。維新の元勲・大久保利通が石川県士族らにより暗殺(1878)
●大阪鉄道・湊町〜柏原(現在の関西本線)が開業(1889)
●ロンドンで日英博覧会開催(1910)
●「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」で大佛次郎の『赤穂浪士』が連載開始(1927)
●チャップリンが来日(1932)
●シンシナティーでアメリカ大リーグ初のナイトゲーム(1935)
●B29爆撃機480機による名古屋大空襲。名古屋城が焼失(1945)
●東京証券取引所が再開(1949)
●長野県上松町で火災。全町の7割が焼失(1950)
●「ワルシャワ条約」にソ連と東欧8か国が調印(1955)
●北海道の国鉄手宮線(南小樽〜手宮2.8km)がこの日限りで旅客運転を廃止。1985年に全線廃止(1962)
●大分県の日鉱佐賀関鉄道(幸崎〜日鉱佐賀関9.2km)がこの日限りで廃止(1963)
●中華人民共和国が2回目の核実験(1965)
●鳥取県の日ノ丸自動車法勝寺鉄道線(米子〜法勝寺12.4km)がこの日限りで廃止(1967)
●第48代横綱大鵬が引退。初の一代年寄に(1971)
●滋賀県の信楽高原鉄道で普通列車と臨時の快速列車が衝突。死者42人(1991)
●第58代横綱千代の富士が引退(1991)
●自動車のナンバープレートの分類番号3桁化が全国で行われる(1999)
●小渕恵三(首相(84代),1か月間脳死状態の後死亡<62歳>(2000)
●交通博物館が閉館(2006)
誕生:北条時頼(鎌倉幕府第5代執権1227)
ロバート・オーウェン(英:社会思想家1771)
徳川家慶(江戸幕府12代将軍1793)
齋藤茂吉(歌人,医師1882)
前川國男(建築家1905)
ジョージ・ルーカス(米:映画監督『スター・ウォーズ』1944)
デビッド・バーン(ミュージシャン1952)
くらもちふさこ(漫画家『いつもポケットにショパン』1955)
古尾谷雅人(俳優1957)
宅麻仁(タレント1964)
後藤孝志(野球1969)
牧内裕美(タレント1971)
日村勇紀(漫才師(バナナマン)1972)
岩波理恵(タレント1976)
吉野紗香(女優1982)
麻見奈央(三瓶あさみ)(タレント,歌手1982)
誕生花:苧環(おだまき) (Columbine)
花言葉:勝利の誓い
誕生石:コーラル(coral)
宝石言葉:聡明
※【種痘記念日】
1796年、イギリスの外科医ジェンナーが初めて種痘の接種に成功した。
種痘の登場以前は、天然痘は最も恐ろしい病気の一つだった。
発症すると、高熱に引き続いて、全身に化膿性の発疹ができるため、運良く治った人もあばた面になった。
以前より、一度天然痘にかかった人は、二度とこの病気にならないことが知られていた。
また、ジェンナーは、乳絞りの女性から牛痘にかかると天然痘には罹からないことを聞いた。
そこで、牛痘にかかった乳絞りの女性サラ・ネルムズの手の水疱からとった膿を、
近所に住んでいた8歳の男児フィップスの腕に接種した。
10日後に発症したがすぐに治癒し、その後天然痘を接種しても感染しなかった。
この実験は、学会には認められなかったが、ジェンナーは貧しい人たちに
無料で種痘の接種を行い、次第に認められるようになった。
天然痘による死亡者は劇的に減少し、1979(昭和54)年10月末に世界保健機構(WHO)
によって根絶が確認された。
※【温度計の日】
水銀温度計を発明し、華氏温度目盛り(°F)に名前を残すドイツの物理学者ファーレンハイトの、
1686年の誕生日。
華氏温度は、塩化アンモニウムを寒剤として得られる当時人間が作り出せた最低温度を0度、
人間の平均体温を96度とし、その間を等分して得られる。
この温度目盛りによると、水が凍る温度は32度、沸騰する温度は212度となる。
ファーレンハイトが1724年に発表し、現在では主にアメリカ・カナダ・イギリスで用いられている。
中国では、ファーレンハイトに華倫海の字を当てたことから、「華氏」と呼ばれるようになった。
※【母の日】
アメリカでは母の日(5月の第2日曜日。母に感謝する日)に、
母親が健在な人は赤いカーネーションを、
母親を亡くした人は白いカーネーションを胸につける。
だが、日本では母親を亡くした人にさびしい思いをさせないために、
赤いカーネーションを母親に贈るようになっている。
1905年5月9日、アンナ・ジャービスという人の母親が亡くなり、
彼女は、「亡き母を追悼したい」という想いから、
1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配った。
これがアメリカで初めて行われた母の日であるようだ。
この風習がアメリカのほとんどの州に広まり、
1914年、その時のアメリカ大統領だったウィルソンが
5月の第二日曜日を母の日と制定した。
日本で初めての母の日を祝う行事が行われたのは明治の末期頃で、
1915年(大正4年)に教会で祝われ始め、徐々に一般に広まっていったようだ。
昭和に入ると当時の皇后の誕生日であった3月6日を母の日としていた。
現在のような母の日が行われるようになったのは、
戦後しばらくしてからだといわれ、一般に広く知れ渡ったのは1937年頃。
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